地震。

※日付を遡って書いています。




ママ友のお家に遊びに行く約束をしていて。
えーるを乗せて車を運転していました。
もうすぐ着くかな〜というところでママ友から
子供が急にお腹が痛くなったからこれから病院に行くので
今日はキャンセルさせて!と電話連絡が入り。



…ん〜、せっかく外出してきたし、
えーるも午前中に昼寝したからいつもの解放広場にでもいくか。
って急遽行き先変更。
たまたま今日は午後に旦那さんからメールが入ったので
これから広場に遊びに行くよ〜と連絡をいれてた。



広場に着いてから20分後くらいだったかなぁ。
地震がありました。
その時、20組くらいの親子が遊びに来ていました。




最初はみんなすぐおさまるとおもっていたけれど
だんだん揺れが大きくなり、ひどくなる一方で。
自分の子供を引き寄せて、頭をかばいながら窓から離れて集団待機。




大きな揺れの中、いきなりバチンと停電。





停電になった直後、
ひとりのお母さんが
「あそこ!コンクリートが落ちてこの建物崩れてます!」


と外を指差し、パニック状態で騒ぎ出して。
確かに目を向けると外壁が崩れて
コンクリートが落ちてきています。
そこから周りのお母さんたちはパニック。
悲鳴が上がりました。




少し地震が落ち着いたのを見計らって職員の方の誘導で
荷物は置いて子供を抱いて外に脱出しようと出口に。
ただ、広場は耐震強度の問題で今月末には閉鎖が決まっていた建物で。
裏口の出入りだったので、出口のはずの正面の自動ドアは施錠中…。
自動ドアのカギを職員の人が解除してドアを開けようとするも
歪んでしまったのか全く開かず。
逃げてきたママと子供たちはドア前のロビーに立ち往生。




そうこうしてる間に揺れがおさまり。




おさまったからよかったものの。
あのまま揺れがひどくなってたら
間違いなく建物が崩れてつぶされてた。
(今思えば、職員は揺れだしたときに
最初に退路の確保をするべきだったんじゃないかと思う。
学校ではそう習ったし。
まぁ、大きな地震でびっくりして
動けなかったんだと思うんだけどさ。)





「今日はもうここにいれないから、
今のうちに荷物を取って出ましょう」
との職員の方の言葉に、広場に引き返し、
結局開かなかった正面玄関とは別の場所から
外に出ることになりました。
えーるを抱えて荷物を持って出口から車に走る。
…妊婦にはしんどい作業でした。




走りながら隣の閉鎖になった旧庁舎に目を向けると
ガラスが割れて粉々。
…もう少しひどかったら広場も
こんな状態だったのかと寒気がしました。





すぐに車で帰る人もいれば、
家に帰っても余震があるし子供とふたりで怖い、と
職員のかたとしばらく駐車場に残っている人もいました。




街中の様子もわからないし、
車でアパートに帰れるかわからなかったので、
私も余震がおさまるまで残っていました。
誰かと一緒が安心できたし。
寒いので車のドアを開けたまま車内で待機。
余震がきたら外に出る、の繰り返し。





しばらく待機していると、
大きな通りの信号機は動いているので、ゆっくりなら車で帰れますと
職員の方に情報をもらいました。
ここにいても待つことしかできないし、
アパートも心配になってきたので車で自宅まで戻ることにしました。
確かに大通りまでの道は信号機がとまって混雑してたけど、
それより先は特別大きな混雑もありませんでした。





帰りに駅周辺を通ったのですが
ホテルの従業員やビルで働いてる人達が公園に避難してきていて
ごった返していました。
上着も取りに行く間もなく避難してきたようで、
寒そうに身を寄せていました。
まだ冷たい風がしのげる車内にいることは子連れにはありがたかったです。




15分後、ようやく自宅に到着。
倒壊はしてない様子。
ちょうど下の階に住むはるきママがベランダにいたので話をする。
はるきママの家は食器棚が倒れてしまって食器が割れて、
戻せない状態とのこと。
電気がきてないから掃除機もかけられなくて、
今は寝室にいると言ってました。
それを聞いてえーるを車内に残したまま、一度部屋を見にいきました。





玄関を開けた入った感じはいつもと変わらない様子でしたが、
何となく部屋全体が埃っぽく。
リビングに繋がるドアをあけます。
…5センチくらいは開くのにその先はなにかにつかえて動かない。
どうやら冷蔵庫が動いてドアの前に来てしまってるようで。
ありったけの力でぐいぐいドアを押すと少しずつドアがあいて
ようやく中に入れるようになりました。




キッチンには食器が割れて散乱し、足の踏み場はありません。
冷蔵庫と食器棚が10センチ以上動いていて、ひとりでは戻せない。
リビング。本棚から本が落ちて散乱。
テレビのスピーカーが床に落ちてブラブラ揺れてました。
棚が倒れているわけではなく、
物が落ちて散乱しているだけなのでひとまず安心。
電気が止まっているので薄暗くなってきた部屋では
片付けするのも大変なので諦めました。





電気もガスも水道もとまって、余震が続いていて。
ダンナ氏もいつ帰ってくるかわからない。
どうしようどうしよう…。
部屋にいても余震でかなり揺れるので
外の駐車場に避難することに決めました。




他のアパートの部屋の方と話をして、
車にガソリンを入れておいた方が無難かな…と
近所のスタンドに向かおうと準備中。
同じ市内に働いている妹が
連絡が付かない私を心配して駆け付けてくれました。
お互い無事でよかったです。




えーるを妹に預けて近くのスタンドに。
すでに長蛇の列が出来ていましたが
何とか満タンにすることができてひとまず安心。
急いで戻って、余震に備えて暗くなる前に
部屋から必要な荷物をまとめて
車に移動しておくことにする。





荷物まとめてる途中で実家の父から電話が入り、
実家は屋根の瓦が落ちたくらいで被害はほぼないとのこと。
ライフラインも奇跡的に通じているよう。
それをきいてここにえーるとふたりで夜を過ごすよりは
車で40分移動して実家に戻る方が賢明な気がして、
まとめた荷物と一緒に実家まで移動することに決めました。
ダンナ氏が帰ってきたら心配するので、携帯にメールを入れて。



妹の車と2台、ゆっくり車を走らせる。
途中道に亀裂が入って交互通行になってたり、
真っ暗な住宅街を通ったり、
真っ暗なのにコンビニに並んで食料を買う人がいたり…
被害を目の当たりにしながら帰宅しました。




午後7時。実家に到着。






周辺の市はみんな停電しているようだったのに、
なぜか実家周辺は電気もガスも水道もが無事で。
ホントにありがたかった。
朝から妊婦健診にいったり
、車で移動したり、外に待機してたり。
ずっと今日は気が張っていて疲れたのか
実家つくとホッとして
急にがくがくとひどい寒気に襲われました。




本当に長い長い一日。






不安定だけどメールも受信できるようになり。
心配してくれた友達からメールも受信していました。
中にダンナ氏からの無事を知らせるメール。
とにかく家族も友達も…みんな無事でなにより。
病院勤務のダンナ氏はしばらく缶詰になりそうで
こちらに戻れないそう。




わかってはいたことだけど、結婚したはいいけど、
いざという時、側にいない。頼れない。
ダンナ氏には家族の他にも
守らなきゃいけないものがたくさんある。
私は子供をかかえて
本当に強くいなきゃいけないことを痛感しました。
今日は家族を心配して
いち早く駆け付けるお父さんをたくさん見たから、
そんな家族がうらやましかった。




あったかいご飯にあったかいお風呂、あったかい布団、
あったかい実家の家族。
本当に本当にありがたい。




頻発する余震が心配でよくは眠れなかったけど
えーるとふたり、ようやく身体を休めることが出来ました。